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TAKIONO
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霧の森に響くフルート<Flute Echoing Through the Misty Forest>
1970年代の初め、友人とサンフランシスコ近郊のマリンカウンティを訪れた。 その日は一日中霧雨で、森の中はなんとなくどこか京都の山あいを思わせるような静けさに包まれていた。 そこで開かれていた小さなパーティに、私たちも加わっていた。 集まっていたのは、いわゆるインテレクチュアル・ヒッピーと呼ばれる人たちで身なりも立ち振る舞いもいたって洗練されていた様に覚えている。 なぜ行ったのかよく覚えてないが、何となく分かっているような顔をしてその場にいた様に思う。 やがて、一枚のレコードが静かに流れ始めた。 聴いたことのない、心に染み渡ってくる音楽だった。見せてもらったらポール・ホーンの『Inside』と言うタイトルだ。 フルートの音が森の中に響きわたる。 気がつくと、私は音楽を聴いていることさえ忘れるほどハマっていた。 50数年が過ぎた今でもそのアルバムを聴く度に、あの日の空気、そしてあの静かな時間が胸の奥によみがえってくる。 後になって、この『Inside』はタージ・マハルの内部で録音されたものだと知った。しかも無許可で。 長い残響の中で、フルートが空間
Taki Ono
9月16日読了時間: 3分
希望とは何か<What is Hope?>
「希望を持とう」と人は言う。 明るく前向きな言葉として。 けれど、希望とは本当にそんなに明るいものなのだろうか。 私は子どもの頃から少し感受性の強い子どもだった。 暗い部屋の気配。 誰もいないのにそこに何かがいるような感覚。 理由も分からずただ怖かった。 不思議なもので記憶には出来事そのものより、その時の感覚の方が深く残ることがある。 1970年代半ば旅先のアムステルダムで、私はそれまで経験したことのない恐怖に襲われた。 何が起きたのか今でも正確には分からない。 突然、目の前の景色が揺れ意識が遠のいていった。 思考が二つに割れてしまったような感覚。 脈が速くなりこのまま自分はどうなってしまうのだろうという恐怖だけが膨らんでいった。 街で精神の均衡を失ったような若者を見ると、「自分もああなってしまうのではないか」 そんなことまで考えた。 アムステルダムから友人のいるパリへ向かった。 飛行機のチェックインでは一人で座らせてほしいと頼んだ。 人と接することさえ怖かったからだ。 ところが席へ行くと隣には一人の中年の女性が座っていた。 しかも彼女は口のきけ
Taki Ono
9月10日読了時間: 4分
神とは何か<What Is God?>
神と出会ったことがある」 以前、ある人からそう聞いたことがあった。 その人が見た神は、光の輪郭を伴った、まばゆい光のかたまりだったという。 あまりに強烈な体験で、それまでの人生観も価値観も、根底から変わってしまったそうだ。 私は神を見たことがない。聞かれても分からないし、神について語る資格があるとも思っていない。 その人としばらく付き合ううちに、気づいたことがあった。 その人は神を語りながら自分を信じろとも、依存させようともしなかった。 大切にしていたのは、むしろ精神の自立や自律だった。 自分の意識を曇らせず、 自分の人生を自分で引き受ける。 その人にとって、神の息吹はそういう生き方の中にあるのだと思う。 神というと、私たちはつい何が正しいのか答えを教えてくれる存在なのではないかとか、困ったときだけ助けを求め思いどおりにならなければ神はいないのではないか、と思ったりもする。 本当は神は人間に向かって「ああ、そうですか。お好きなようにどうぞ」と言っているだけなのかもしれない。 決して冷たく突き放しているのではないと思うけど、どう生きるか、どうするの
Taki Ono
8月28日読了時間: 3分
今になってわかること<What I Have Come to Understand>
今になってわかること ——『シッダールタ』を思いながら ヘッセの『シッダールタ』を読んでいたら、いつの間にか自分の人生のことを考えていた。 シッダールタは真理を求めて、いくつもの道を歩く。 修行の世界に身を置き、偉い師にも出会い、そのうち愛や欲や富の中にも入っていく。 でも、どこにも答えはなかった。 いや、答えがなかったわけではない。 自分で経験してみないと、見えてこなかっただけなのだと思う。 どんなに立派な教えも、聞いただけでは自分のものにならないと言うのも良くわかる。 人から教わって「わかった気になる」のと、自分の人生を通して知ることとは、まるで違うし。 私は哲学者でも作家でもない。 ずっとデザインをやってきた、ただの一人の人間だ。 大学で経済学を学び、そのあとアメリカに渡ってデザインを学んだ。 写真家のスタジオでいろいろな人に出会い、ビバリーヒルズでネイルアートを手がけ、ハリウッド映画のポスターもつくった。 それから日本に戻り、化粧品や企業のデザインに携わってきた。 華やかさも、競争も、欲もあった。 喜びも失敗も、出会いも別れも数多くあった
Taki Ono
8月24日読了時間: 5分
文字は語り始める<Letters Begin to Speak>
文字とは何だろう。 文字を深く見つめることで形の奥にある美しさと光を知った。その楽しさはデザインだけでなく、人や世界を見る目を育ててくれた。 多くの人は文字を言葉を伝えるための記号として見ている。もちろんそれも文字の大切な役割である。しかし私にとって文字は一枚の絵でもある。 そのことを教えてくれたのはロサンゼルスでのタイポグラフィの授業でだった。 当時はまだコピー機など存在する時代ではなかった。 与えられた文字を理解しデザインするためには、グリッドを引いた紙の上に一文字ずつ鉛筆で正確に書き写していくことが求められた。 最初は課題として取り組んでいたその作業が、やがて私にとってかけがえのない学びになった。 一本の曲線には理由がある。 一本の直線にも理由がある。 何度も手を動かしているうちに、それぞれの文字には固有の骨格があり、重心があり、表情があることが少しずつ見えてきた。 私は文字を覚えたのではない。 文字を見る目を育ててもらったのかも知れない。 その経験は文字だけではなく、デザイン全体を見る目へとつながっていった。 ロサンゼルスで目にした優れた
Taki Ono
8月22日読了時間: 4分
ジョルジュ・プレートル<Georges Prêtre>
大学生の頃、《カルメン》のレコードを探しに、神保町の老舗レコード店へ入ったことがある。 店には優しいのか怖いのかよく分からない店主がいて、馴染みらしい客と新しく出た《カルメン》について話していた。 ジョルジュ・プレートル指揮、マリア・カラスの全曲盤だった。 二人ともやたらと褒めている。 私はその頃カラヤン指揮の《カルメン》に興味があったのだが、話がカラヤンに及ぶとこちらはどうもお気に召さないらしい。 若かった私はすっかり影響され結局カラヤンを買わずに店を出てしまった。 今思えばずいぶん素直な客である。 プレートルという指揮者を意識したのはその時からだった。 その後、カラスとの《カルメン》も聴いた。なるほど素晴らしいとは思ったがそれ以上のことはなかった。 そして何十年という時間が過ぎた。 2010年、ウィーン。 友人のヴァイオリニスト、ビルギット・コーラーさんが私たちの結婚祝いに、憧れていたウィーン・フィルのニューイヤーコンサートへ招待してくれた。 指揮者の名前を見て驚いた。 ジョルジュ・プレートル。 神保町のあのレコード店が一瞬頭に浮かんだ。..
Taki Ono
8月20日読了時間: 4分
私の経歴<My Background>
私の経歴──人間を理解するための、デザインという旅 私は1948年東京に生まれた。1971年ロサンゼルスへ渡り、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで学んだ。何を探しているのか分からないまま、ただ人の心を動かすものを知りたいと思っていた。 文字、色、形、写真。そのすべてを学ぶ中で「文字は絵である」という感覚に出会った。文字は情報ではなく人の感情を運ぶ存在なのだと知った。 卒業後は写真家ノーマン・シーフのスタジオで、多くのミュージシャンや映画スターの撮影に立ち会った。そこで学んだのは、写真とは人の表情を写すものではなく、人が心を開く瞬間を写すものだということだった。この経験はその後の私の仕事の原点になった。 1976年にはビバリーヒルズでネイルアートを始めた。誰も注目していなかった小さな爪を、一枚のキャンバスとして捉えた。表現の大きさと人の心を動かす力は、決して比例しないことを実感した。 その後ハリウッドで、映画ポスターやレコードジャケット、ファッション広告を手がけた。フランシス・コッポラやマイケル・マンらの一流監督たちとの仕事で学んだのは技術
Taki Ono
8月15日読了時間: 6分
バイロイトへの想い<Reflections on Bayreuth>
SNSから流れてきたバイロイト音楽祭《神々の黄昏》エンディングのゲネプロを聴いていたら、不意に涙があふれてきた。 なぜなのだろう。 音楽そのものに心を動かされたのはもちろんだが、それ以上にその曲とともに生きてきた長い時間が一度に胸へ押し寄せてきたのだと思う。 私が初めてワーグナーの音楽に衝撃を受けたのは中学生の頃だった。《タンホイザー》序曲の中盤、燃え上がるように音楽が高まり一気に解き放たれる瞬間。 「これは一体何だ」と心を揺さぶられたことを今でも鮮明に覚えている。 人はこれを「ワーグナーの毒を飲む」と言うらしい。私もまさにその一人だったのだろう。 それ以来ワーグナーは私にとって特別な存在になった。 高校生になると、バイロイト音楽祭の合唱曲集のレコードを手に入れた。祝祭劇場の写真を飽きることなく眺め、ついには油絵まで描いてしまった。まだ海外旅行など夢のような時代だった。私にとってバイロイトは現実の町ではなく、遥か彼方にある神話の世界だった。 年末になると、その年のバイロイト音楽祭の録音がNHKから放送され始めた。私は大掃除をしながら何時間も耳を傾
Taki Ono
8月15日読了時間: 5分
沈黙とは何か<What is Silence>
沈黙とは言葉がないことではない。 言葉を超えた場所だ。 人は話すことで安心する。 説明する。 主張する。 弁解する。 証明する。 しかし本当に深いものは言葉にならない。 愛。 喪失。 祈り。 畏れ。 それらの核心は言葉にした瞬間、少しずつ輪郭を失っていく。 だから沈黙は空白ではない。 むしろ最も密度の高い時間である。 私はある時現代作曲家・吉田進氏の言葉に出会った。 「音楽とは音ではなく、沈黙である。」 その言葉を胸に彼の作品に耳を澄ませた。 長い沈黙が続く。 音は鳴らない。 最初は何かを理解しようとしていた。 何を表現しているのか。 何を感じればいいのか。 しかしそのうち私は考えることをやめた。 意味を求めることもやめた。 ただ、その沈黙に身を委ねた。 すると、不思議なことに、 心が静かになっていく。 何かを考えようとする自分も、 何かを理解しようとする自分も、 少しずつ消えていく。 ただ静かな空間だけが残る。 まるで何もない場所をゆっくり漂っているようだった。 その時間は空っぽなのではない。 むしろ、何もないからこそ満たされていた。 やがて、
Taki Ono
8月15日読了時間: 3分
ノーマン・シーフ<Norman Seeff>
アートセンターを卒業した頃、私はまだこれから何をするのか、はっきり決めていなかった。 そんな時、友人から声をかけられて、写真家ノーマン・シーフのスタジオでしばらくアシスタントをすることになった。 当時のノーマンのスタジオには、ミュージシャンや俳優、アーティストなど、私でも名前を知っているような人たちが次々とやってきた。 でも、私が面白かったのは写真を撮っている時だけではなかった。 むしろ、その前だった。 ノーマンは撮影する相手のことをよく調べていた。 どんな人生を歩いてきたのか。普段どんな暮らしをしているのか。何が好きなのか。 そして撮影の日には、いきなりカメラを向けたりしない。 ワインを飲んだり、話をしたり、笑ったりしている。 最初は普通のパーティのようでもある。 ところが、そこから少しずつ空気が変わっていく。 ノーマンは相手に目を閉じてもらうことがよくあった。 別に「さあ、メディテーションをしましょう」などと言うわけではない。 話をしながら、いつの間にかそうなっている。 そのうちスタジオがシーンとする。 私も何となく動いてはいけないような気が
Taki Ono
8月15日読了時間: 5分
ローランド・ヤング<Roland Young>
出会いには、いくつかの種類がある。 通り過ぎていく出会い。 刺激を与えてくれる出会い。 そして何十年経っても、自分の中で生き続ける出会い。 ローランド・ヤングは、私にとってそんな存在だった。 ロサンゼルスで過ごした約20年の間に、多くの素晴らしい人々と出会った。だが今なお私の中で最も鮮明に息づいているのは、ローランドかもしれない。 彼はA&Mレコードでカーペンターズを始めとした数々の名作ジャケットを手がけたアートディレクターであり、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで長年教鞭を執っていた。 しかし彼は、何かを教え込む教師ではなかった。 むしろ問いを与える人だった。 今思うには彼は教師と言うよりメンターと呼ぶに相応しい人だった。 例えば、「SWEET」を表現しろ。 課題は驚くほど単純だった。だが、その単純さの中に深い落とし穴がある。甘いとは何か。味覚なのか、感情なのか、それとも記憶なのか。 ローランドは答えを示さない。 もっと掘れ。 もっと疑え。 最初に思いついた答えを超えろ。 そして彼は、こうも言った。 表現のために、自分に嘘をつくな。..
Taki Ono
8月15日読了時間: 4分
ネイルアートとの出会い<My Encounter with Nail Art>
1970年代半ばロサンゼルスで暮らしていた頃のことである。 ある日親友の恋人ナターシャがマニキュアを塗っているのを何気なく眺めていた。 その時、塗り終えた爪の上に別の色を重ねて遊んでいる姿を見て私は思わず「面白い」と直感した。 調べてみると、1930年代には爪先だけを白く塗るフレンチネイルの原型のようなものが存在していた。 しかし私は、それを装飾としてではなく、まったく別のものとして見始めた。 爪は、小さなキャンバスではないか。 そう思った瞬間から、私の実験が始まった。 付け爪に思いつく限りの世界を描いていった。 デザイン。 アート。 ブランド。 スポーツ。 装飾。 抽象表現。 どんなテーマも、小さな爪の上では自由だった。 中でも最も熱中したのは、古代エジプトをテーマにした作品だった。 金色の地に、チャイナインクでネフェルティティの横顔を描く。 衣装には細密な装飾を施し、背景にはピラミッドと椰子の木。 空には赤と黄色の帯を描き、その中を象形文字で埋め尽くした。 数センチにも満たない世界に、一枚の絵画を完成させるような感覚だった。...
Taki Ono
8月15日読了時間: 4分
ヘンリー・フォンダとアンドリュー・ワイエス<Henry Fonda and Andrew Wyeth>
20代の終わり頃仕事仲間の撮影に同行して、ロサンゼルスのベルエアにあるヘンリー・フォンダの自宅を訪れる機会があった。 当時の彼は70代半ば。77才で亡くなったので人生の晩年に差しかかっていた頃だった。 撮影の準備が整うまでしばらく時間があり、私は思いがけず彼と二人で言葉を交わすことになった。 映画の話になるのだろうと思っていたが、彼が熱心に語り始めたのは絵の話だった。 とりわけアンドリュー・ワイエスについては、まるで少年のような輝いた眼差しで話してくれた。 ワイエスが生きた時代——アメリカの農村が静かに変わりゆく時代——を彼はいかに純粋に、力強く描き切ったか。飾らず、叫ばず、ただそこにある光と影と人間を誠実に見つめ続けた。同時代の画家たちが抽象や前衛へと向かっていく中でワイエスは一人、目の前の現実を深く掘り下げることを選んだ。フォンダはそのことをまるで旧い友人について語るように話した。言葉は尽きることがなかった。 私はその時間を通して名優ヘンリー・フォンダではなく、一人の芸術を愛する人間に出会った気がした。 ハリウッドで数十年を生き栄光も苦労も知
Taki Ono
8月15日読了時間: 3分
長嶋茂雄の記憶<The Memory of Shigeo Nagashima>
人の記憶とは不思議なものだ。 遠い昔の出来事であるにもかかわらず、ある瞬間だけが時を失ったように鮮やかに残り続けることがある。 私にとって、そのひとつが長嶋茂雄だ。 小学生の頃、友達の家で六大学野球の中継を見ていた。神宮球場の打席に立った長嶋が放った打球は、高く舞い上がり、そのままスタンドへ吸い込まれていった。 私は野球少年だった。だから、そのホームランがどれほど特別なものかを知っていた。当時の大学野球でホームランを打つこと自体が、ほとんどあり得ない時代だったからだ。 子ども心にも、その一打は眩しかった。 「こんな選手がいるのか。」 そんな驚きとともに、私は夢中で画面を見つめていた。 そして、もうひとつの記憶がある。 1958年の春、後楽園球場。 巨人のベンチがすぐ目の前に見える席に座っていた。 大学を卒業したばかりの新人だった長嶋が、ベンチから仲間たちと談笑しながら姿を現した。 ただ、それだけの光景だった。 だが、なぜか目が離せなかった。 青々と残る髭の剃り跡。 引き締まった身体。 そして、その全身から溢れ出るような生命の躍動と笑顔。...
Taki Ono
8月15日読了時間: 3分
ベジタリアンだった頃<When I Was a Vegetarian>
ロサンゼルスに暮らしていた1970年代の終わり頃、私はどこか疲れを抱えながら日々を過ごしていた。食欲はあるのに、何を食べても身体の奥に重さが残るような感覚があった。そんなとき、ふと「一度、身体の中をきれいにしてみたい」と思った。それがきっかけで、私は10年ほどベジタリアンとして暮らすことになる。好きな卵だけはやめなかったが、肉も魚も口にしなかった。 強い思想があったわけではない。その頃の私は少し疲れていて、身体の中を一度きれいにしてみたいと思ったのだ。 始めてみると、味噌汁の出汁ひとつにも困った。煮干しも鰹節も使えないので、昆布と干し椎茸を水に浸し、一晩置いた。これが思いのほかおいしかった。食べられないものが増える一方で、知らなかった味に出会う面白さもあった。 やがて肉や魚は、私の中で食べ物ではなくなっていった。身体だけでなく、ものの見方まで変わっていくのが不思議だった。 ベジタリアンの仲間も増えた。だが中には、その食生活を人間の優劣を測る物差しのように考える人もいた。自由になるための選択が、いつの間にか人を縛り、他者を裁くものになっている。その
Taki Ono
8月15日読了時間: 4分
私は何者か<Who Am I?>
私は何者か。 一度くらい、誰もがこの問いを自分に向ける。 だが真面目に答えようとすると、言葉に詰まる。 多くの人は肩書きを語る。 職業を語る。実績や年齢を語る。 仕事を失ったとき、自分は消えるのか。 歳を重ねるたびに、別人になるのか。 そんなはずはない。 それらは人生に貼り付いたラベルだ。 その人そのものではない。 では、私は何者なのか。 長く考えて、辿り着いた答えは単純だった。 私は、なろうとしている存在だ。 完成した人間ではない。 今も、途中だ。 だから迷う。 だから揺れる。 だから間違える。 それでいいと思っている。 最初から完成していたら、学ぶことは何もない。 傷つく必要も、恥をかく必要も、泣く必要もない。 人生とは、不完全なまま、少しずつ深くなっていく時間だ。 苦しみも失敗も、 出会いも別れも、 全部そのためにあった。 もっと深く。 もっと静かに。 もっと透明に。 誰かに認められるためではない。 自分という存在を、少しでも澄んだものにしたい。 それだけだ。 その先で、誰かの役に立てたなら、それでいい。 役に立つことが目的なのではない。
Taki Ono
8月15日読了時間: 3分
美とは何か<What Is Beauty?>
美とは何だろう。 私は昔から美しいものに強く心を動かされてきた。 絵画、音楽、建築、自然。 人の生き方。 なぜあるものには胸が震え、 別のものには何も感じないのだろう。 昨日美しいと思ったものを、 明日も同じように美しいと思うのだろうか。 その日の心の状態で変わるのだろうか。 疲れている日。 嬉しい日。 悲しい日。 それによって美しさは変わるのだろうか。 けれど振り返ってみると、一つだけ確かに思うことがある。 美は私の都合によって生まれるものではない。 美は存在が放つ静かな光としていつもそこにあるに違いない。 問われているのは、その光を感じ取れる自分でいられるかどうかなのだと思う。 「Wow!!!」その一瞬がある。 考えているより感動が先にやってくる。 私は音楽が好きでよくクラシックコンサートへ足を運ぶ。 期待していたのに何も感じない演奏もあれば、何気なく耳にした一曲が心を深く揺さぶることもある。 最近そんな出会いがあった。 なんとイージーリスニング界のロイヤル・マエストロ、ロニー・アルドリッチの“I Wish You Love”。...
Taki Ono
8月15日読了時間: 3分
タヒチ<Tahiti>
タヒチの楽園、ボラボラ島。 その美しさは写真では決して伝わらない。 30数年前フランス人建築家の友人の案内で、ボラボラに暮らすフランス人ヒッピーたちのコミューンを訪ね、停泊していた50フィートほどのヨットに2週間ほど滞在したことがある。 彼らは10隻ものヨットでフランスから海を渡ってきたという。 最初にタヒチ島へ到着するとヨットを放射状に停泊させ、その中心にエネルギーを集めて宇宙と交信する儀式を行い、その後ボラボラへ移り住んだそうだ。 彼らの暮らしは実に個性的だった。 音楽、ダンス、コンピュータ映像、文学、ファッション──。 さまざまな文化を南国の自然と溶け合わせ、宇宙との対話を楽しみながら生きていた。 住まいはドームやピラミッド型。 食事は菜食で酒も飲まない。 ワーキングルームの片隅には、彼らが持ち込んだアミガ・コンピュータがあった。 言葉はさほど通じなくてもそこに絵を描けば通じ合えた。 画面の中で色が動き線が生まれる。 私たちは代わる代わるマウスを握り、ただ描いては見せ合った。 南国の島で、機械の光を挟んで交わした無言の会話は今思えば奇妙なほ
Taki Ono
8月15日読了時間: 3分
高慢と傲慢<Pride and Arrogance>
以前、私の魂を救ってくれた方から思いがけないことを言われたことがある。 「ONOさんて傲慢ですよね。」 一瞬、耳を疑った。 傲慢。 人に向かってそんな言葉を口にする人がいるのだろうか。 失礼ではないか。 そう思った。 だが同時に、なぜかその人が言うのだから自分の中に本当にそういう部分があるのかもしれないと思ったりもした。 それ以来、私は傲慢さについて考えるようになった。 人の言葉を聞く時。 人の振る舞いを見る時。 そして何より自分自身を見る時も。 やがて不思議にもそれまで見えなかったものが少しずつ見えるような気がし始めた。 人は誰でも、心の底では自分を正しいと思いたいし、認められたいし、少しでも高く評価されたいと思っているのではないだろうか。 その小さな欲望が、知らぬ間に言葉や態度に顔を出す。 もちろん私も例外ではなかった。 むしろ、自分にはそんなものはないと思っている時ほど、それは巧妙に隠れているのかもしれない。 しばらくして、私は高慢と傲慢の違いについても考えるようになった。 厳密な定義ではないのだが。 私には、高慢とは自分を高く見ること、傲
Taki Ono
8月15日読了時間: 4分
諦めることと手放すこと<Giving Up and Letting Go>
人生の中で何度も諦めるという言葉と向き合ってきた。 若い頃は「諦める」とは負けることだと思っていた。 夢を失うことや、 挑戦をやめることや、 希望を捨てること。 だから私は、絶対に諦めるものかと生きてきた。 けれど歳を重ねるにつれ、諦めるとは別に手放すとはどう言う事なのだろうか、と考える様になった。 諦めることと手放すことは同じではない。 諦める時心にはどこか悔しさが残る。 「本当は欲しかった」 「本当は叶えたかった」 などの思いを抱えたままやり過ごす。 一方手放す時は少し違う。 ある日、静かに思う。 「もう十分だった」。 おかしな話しだが、私はその感覚を煙草をやめた時に経験した。 四十歳頃まで二十年近く吸い続けた煙草だった。 やめようと思ってやめられる訳がない。我慢したわけでもない。 ある日、自分にこう言った。 「もう十分以上に吸ったし、楽しんだし、思い残すことなんて何もないんじゃないの。」 すると、不思議な事だがその日から煙草は全く私の人生から消えていった。 分かった、私が手放したのは煙草ではなかった。 煙草への執着だったのだ。 人は、我慢し
Taki Ono
8月15日読了時間: 3分
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