top of page
TAKIONO
All Posts
高慢と傲慢<Pride and Arrogance>
以前、私の魂を救ってくれた方から、思いがけないことを言われたことがある。 「ONOさんて傲慢ですよね。」 一瞬、耳を疑った。 傲慢。 人に向かってそんな言葉を口にする人がいるのだろうか。 失礼ではないか。 そう思った。 だが同時に、その方が言うのだから、自分の中に本当にそういう部分があるのかもしれないとも思った。 それ以来、私は傲慢さについて考えるようになった。 人の言葉を聞く時も。 人の振る舞いを見る時も。 そして何より、自分自身を見る時も。 すると不思議なことに、それまで見えなかったものが少しずつ見え始めた。 人は誰しも、自分を正しいと思いたい。 認められたい。 少しでも高く評価されたい。 その小さな欲望が、知らぬ間に言葉や態度に顔を出す。 もちろん私も例外ではなかった。 むしろ、自分にはそんなものはないと思っている時ほど、それは巧妙に隠れているのかもしれない。 考え続けるうちに、私は高慢と傲慢の違いについても思いを巡らせるようになった。 厳密な定義ではない。 だが今の私には、高慢とは自分を高く見ること、傲慢とは他人を低く見ることのように思え

Gishu Azami
2 日前読了時間: 4分
タヒチ<Tahiti>
タヒチの楽園、ボラボラ島。 その美しさは、写真では決して伝わらない。 三十数年前、フランス人建築家の友人の案内で、ボラボラに暮らすフランス人ヒッピーたちのコミューンを訪ね、停泊していた五十フィートほどのヨットに二週間ほど滞在したことがある。 彼らは十隻ものヨットでフランスから海を渡ってきたという。 最初にタヒチ島へ到着すると、ヨットを放射状に停泊させ、その中心にエネルギーを集めて宇宙と交信する儀式を行い、その後、ボラボラへ移り住んだそうだ。 彼らの暮らしは実に個性的だった。 音楽、ダンス、コンピュータ映像、文学、ファッション──。 さまざまな文化を南国の自然と溶け合わせ、宇宙との対話を楽しみながら生きていた。 住まいはドームやピラミッド型。 食事は菜食で、酒も飲まない。 ワーキングルームの片隅には、彼らが大切に持ち込んだアミガ・コンピュータがあった。 言葉はさほど通じなくても、そこに絵を描けば通じ合えた。 画面の中で色が動き、線が生まれる。 私たちは代わる代わるマウスを握り、ただ描いては見せ合った。 南国の島で、機械の光を挟んで交わした無言の会話

Gishu Azami
5 日前読了時間: 4分
長嶋茂雄の記憶<The Memory of Shigeo Nagashima>
人の記憶とは不思議なものだ。 遠い昔の出来事であるにもかかわらず、ある瞬間だけが時を失ったように鮮やかに残り続けることがある。 私にとって、そのひとつが長嶋茂雄だ。 小学生の頃、友達の家で六大学野球の中継を見ていた。神宮球場の打席に立った長嶋が放った打球は、高く舞い上がり、そのままスタンドへ吸い込まれていった。 私は野球少年だった。だから、そのホームランがどれほど特別なものかを知っていた。当時の大学野球でホームランを打つこと自体が、ほとんどあり得ない時代だったからだ。 子ども心にも、その一打は眩しかった。 「こんな選手がいるのか。」 そんな驚きとともに、私は夢中で画面を見つめていた。 そして、もうひとつの記憶がある。 1958年の春、後楽園球場。 巨人のベンチがすぐ目の前に見える席に座っていた。 大学を卒業したばかりの新人だった長嶋が、ベンチから仲間たちと談笑しながら姿を現した。 ただ、それだけの光景だった。 だが、なぜか目が離せなかった。 青々と残る髭の剃り跡。 引き締まった身体。 そして、その全身から溢れ出るような生命の躍動と笑顔。...

Gishu Azami
5 日前読了時間: 3分
バイロイトへの想い<Reflections on Bayreuth>
SNSから流れてきたバイロイト音楽祭《神々の黄昏》エンディングのゲネプロを聴いていたら、不意に涙があふれてきた。 なぜなのだろう。 音楽そのものに心を動かされたのはもちろんだが、それ以上にその曲とともに生きてきた長い時間が、一度に胸へ押し寄せてきたのだと思う。 私が初めてワーグナーの音楽に衝撃を受けたのは中学生の頃だった。《タンホイザー》序曲の中盤、燃え上がるように音楽が高まり、一気に解き放たれる瞬間。「これは一体何だ」と、心を揺さぶられたことを今でも鮮明に覚えている。 人はこれを「ワーグナーの毒を飲む」と言うらしい。私も、まさにその一人だったのだろう。 それ以来、ワーグナーは私にとって特別な存在になった。 高校生になると、バイロイト音楽祭の合唱曲集のレコードを手に入れた。祝祭劇場の写真を飽きることなく眺め、ついには油絵まで描いてしまった。まだ海外旅行など夢のような時代だった。私にとってバイロイトは、現実の町ではなく、遥か彼方にある神話の世界だった。 年末になると、その年のバイロイト音楽祭の録音がNHKから放送され始めた。私は大掃除をしながら何時

Gishu Azami
5 日前読了時間: 5分
沈黙とは何か<What Is Silence?>
沈黙とは、言葉がないことではない。 言葉を超えた場所だ。 人は話すことで安心する。 説明する。 主張する。 弁解する。 証明する。 しかし、本当に深いものは言葉にならない。 愛。 喪失。 祈り。 畏れ。 それらの核心は、言葉にした瞬間、少しずつ輪郭を失っていく。 だから沈黙は空白ではない。 むしろ、最も密度の高い時間である。 私はある時、現代作曲家・吉田進氏の言葉に出会った。 「音楽とは音ではなく、沈黙である。」 その言葉を胸に、彼の作品に耳を澄ませた。 長い沈黙が続く。 音は鳴らない。 最初は何かを理解しようとしていた。 何を表現しているのか。 何を感じればいいのか。 しかし、そのうち私は考えることをやめた。 意味を求めることもやめた。 ただ、その沈黙に身を委ねた。 すると、不思議なことに、 心が静かになっていく。 何かを考えようとする自分も、 何かを理解しようとする自分も、 少しずつ消えていく。 ただ静かな空間だけが残る。 まるで何もない場所を、ゆっくり漂っているようだった。 その時間は、空っぽなのではない。 むしろ、何もないからこそ満たされ

Gishu Azami
8月5日読了時間: 3分
ローランド・ヤング<Roland Young>
出会いには、いくつかの種類がある。 通り過ぎていく出会い。 刺激を与えてくれる出会い。 そして何十年経っても、自分の中で生き続ける出会い。 ローランド・ヤングは、私にとってそんな存在だった。 ロサンゼルスで過ごした約二十年の間に、多くの素晴らしい人々と出会った。だが今なお私の中で最も鮮明に息づいているのは、ローランドかもしれない。 彼はA&Mレコードでカーペンターズを始めとした数々の名作ジャケットを手がけたアートディレクターであり、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで長年教鞭を執っていた。 しかし彼は、何かを教え込む教師ではなかった。 むしろ問いを与える人だった。 今思うには彼は教師と言うよりメンターと呼ぶに相応しい人だった。 例えば、「SWEET」を表現しろ。 課題は驚くほど単純だった。だが、その単純さの中に深い落とし穴がある。甘いとは何か。味覚なのか、感情なのか、それとも記憶なのか。 ローランドは答えを示さない。 もっと掘れ。 もっと疑え。 最初に思いついた答えを超えろ。 そして彼は、こうも言った。 表現のために、自分に嘘をつくな。..

Gishu Azami
8月5日読了時間: 4分
私の経歴<My Background>
私の経歴──人間を理解するための、デザインという旅 私は一九四八年、東京に生まれた。一九七一年、ロサンゼルスへ渡り、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで学んだ。何を探しているのか分からないまま、ただ、人の心を動かすものを知りたいと思っていた。 文字、色、形、写真。そのすべてを学ぶ中で、「文字は絵である」という感覚に出会った。文字は情報ではなく、人の感情を運ぶ存在なのだと知った。 卒業後は写真家ノーマン・シーフのスタジオで、多くのミュージシャンや映画スターの撮影に立ち会った。そこで学んだのは、写真とは人の表情を写すものではなく、人が心を開く瞬間を写すものだということだった。この経験は、その後の私の仕事の原点になった。 一九七六年にはビバリーヒルズでネイルアートを始めた。誰も注目していなかった小さな爪を、一枚のキャンバスとして捉えた。表現の大きさと、人の心を動かす力は、決して比例しないことを実感した。 その後ハリウッドで、映画ポスターやレコードジャケット、ファッション広告を手がけた。フランシス・コッポラやマイケル・マンらの一流監督たちとの仕事で

Gishu Azami
8月5日読了時間: 6分
希望とは何か<What Is Hope?>
「希望を持とう」と、人は言う。 明るい声で、まっすぐな目で。 その言葉は美しい。 けれど、本当に人生の淵まで落ちたことがある人なら知っている。 希望は、前向きな言葉ではない。 それは時に、人が生き続けるための、最後の理由になる。 私は子どもの頃から、世界を少し強く感じる子どもだった。 暗い部屋の気配。 誰もいないのに感じる人の存在。 当時は理由もわからず、ただ怖かった。 今思えば、それは特別な能力でも異常でもなく、人より少しだけ感受性が強かったのだと思う。 人の記憶とは不思議だ。 出来事そのものよりも、その時に感じた感覚の方が、ずっと深く残っている。 子どもの頃に感じた説明のできない恐怖。 その感覚が、何十年も経ってから、別の出来事と静かにつながることがあった。 一九七十年代半ば。 旅先のアムステルダムで、私は人生で最も大きな恐怖を経験した。 何が起きたのか、今でも正確にはわからない。 どこかで体に異変が起きたのかもしれない。 突然、目の前の景色が揺れ始め、意識が遠のいていった。 失神しそうになる感覚。 自分の中で思考が二つに割れてしまったような

Gishu Azami
7月21日読了時間: 6分
ノーマン・シーフ<Norman Seeff>
ロサンゼルスのアートセンターカレッジを卒業した私は、直ぐには進む道を決められずにいた。 そんなある日、友人から声を掛けられ、写真家ノーマン・シーフのスタジオでしばらくアシスタントをすることになった。 彼は南アフリカ出身の医師だった。救急医療の現場で多くの命と向き合った後、自分の内側から湧き上がる創造への衝動に従い、六十年代にアメリカへ渡った。そしてニューヨークで写真家として才能を開花させ、その後ロサンゼルスへ拠点を移した。 当時の彼のスタジオには、世界中のミュージシャンやハリウッドスター、アーティストや著名人が次々と訪れていた。 しかし、彼が撮ろうとしていたのは、有名人ではなかった。 その人、そのものだった。 撮影の日までに、彼は相手がどんな人生を歩み、どのような暮らしをし、何を大切にして生きているのかを徹底的に調べていた。 写真を撮る前に、人を理解しようとしていたのである。 撮影が始まる前、スタジオはまだ穏やかな空気に包まれていた。 その人好みのセッティングで軽くワインなどを飲みながら談笑し、自然に笑顔が生まれる。 けれど、撮影が近づくにつれ、

Gishu Azami
7月21日読了時間: 6分
ベジタリアンだった頃<When I Was a Vegetarian>
ロサンゼルスに暮らしていた一九七〇年代の終わり頃、私はどこか疲れを抱えながら日々を過ごしていた。食欲はあるのに、何を食べても身体の奥に重さが残るような感覚があった。そんなとき、強い思想があったわけではないのだが、ふと「一度、身体の中をきれいにしてみたい」と思った。それがきっかけで、私は十年ほどベジタリアンとして暮らすことになる。好きな卵だけはやめなかったが、肉も魚も口にしなかった。 始めてみると、味噌汁の出汁ひとつにも困った。煮干しも鰹節も使えないので、昆布と干し椎茸を水に浸し、一晩置いた。これが思いのほかおいしかった。食べられないものが増える一方で、知らなかった味に出会う面白さもあった。 やがて肉や魚は、私の中で食べ物ではなくなっていった。身体だけでなく、ものの見方まで変わっていくのが不思議だった。 ベジタリアンの仲間も増えた。だが中には、その食生活を人間の優劣を測る物差しのように考える人もいた。自由になるための選択が、いつの間にか人を縛り、他者を裁くものになっている。そのことに、私は少し怖さを感じた。 ロサンゼルスの中近東ヴィーガン料理店では

Gishu Azami
7月21日読了時間: 4分
ヘンリー・フォンダとアンドリュー・ワイエス<Henry Fonda and Andrew Wyeth>
二十代の終わり頃、仕事仲間の撮影に同行して、ロサンゼルスのベルエアにあるヘンリー・フォンダの自宅を訪れる機会があった。 当時の彼は七十代半ば。七七才で亡くなったので、人生の晩年に差しかかっていた頃だった。 撮影の準備が整うまでしばらく時間があり、私は思いがけず彼と二人で言葉を交わすことになった。映画の話になるのだろうと思っていたが、彼が熱心に語り始めたのは絵の話だった。 とりわけアンドリュー・ワイエスについては、まるで少年のような輝いた眼差しで話してくれた。 ワイエスが生きた時代——アメリカの農村が静かに変わりゆく時代——を、彼はいかに純粋に、力強く描き切ったか。飾らず、叫ばず、ただそこにある光と影と人間を、誠実に見つめ続けた。同時代の画家たちが抽象や前衛へと向かっていく中で、ワイエスは一人、目の前の現実を深く掘り下げることを選んだ。フォンダはそのことを、まるで旧い友人について語るように話した。言葉は尽きることがなかった。 私はその時間を通して、名優ヘンリー・フォンダではなく、一人の芸術を愛する人間に出会った気がした。 ハリウッドで数十年を生き、

Gishu Azami
7月18日読了時間: 3分
ネイルアートとの出会い<My Encounter with Nail Art>
1970年代半ば、ロサンゼルスで暮らしていた頃のことである。 ある日、親友の恋人ナターシャがマニキュアを塗っているのを何気なく眺めていた。 その時、塗り終えた爪の上に別の色を重ねて遊んでいる姿を見て、私は思わず「面白い」と感じた。 それは理屈ではなかった。 直感だった。 調べてみると、1930年代には爪先だけを白く塗るフレンチネイルの原型のようなものが存在していた。 しかし私は、それを装飾としてではなく、まったく別のものとして見始めた。 爪は、小さなキャンバスではないか。 そう思った瞬間から、私の実験が始まった。 付け爪に思いつく限りの世界を描いていった。 デザイン。 ブランド。 スポーツ。 装飾。 抽象表現。 どんなテーマも、小さな爪の上では自由だった。 中でも最も熱中したのは、古代エジプトをテーマにした作品だった。 金色の地に、チャイナインクでネフェルティティの横顔を描く。 衣装には細密な装飾を施し、背景にはピラミッドと椰子の木。 空には赤と黄色の帯を描き、その中を象形文字で埋め尽くした。 数センチにも満たない世界に、一枚の絵画を完成させるよ

Gishu Azami
7月17日読了時間: 4分
私は何者か<Who Am I?>
私は何者か。 人は一度くらい、この問いを自分に向ける。 しかし正直に答えようとすると、思いのほか言葉に詰まる。 多くの人は肩書きや職業を語る。 あるいは実績や年齢や立場を語る。 でも、ふと思う。 仕事を失ったとき、自分は消えるのか。 歳を重ねるたびに、別人になるのか。 そんなはずはない。 それらは人生に貼り付いたラベルであって、その人そのものではない。 では私は何者なのか。 長い間考えてきた。 そして辿り着いた答えは、拍子抜けするほど単純だった。 私は、なろうとしている存在だ。 完成された人間ではない。 今もまだ、途中の人間だ。 だから迷う。 だから揺れる。 だから間違える。 でも今は、それでいいと思っている。 最初から完成していたなら、人は何も学ばなくていい。 傷つく必要も、恥をかく必要も、泣く必要もない。 人生とは、そういう不完全なものを抱えながら、 それでも少しずつ深くなっていく時間なのだと思う。 苦しみも、失敗も、 出会いも、別れも、 全部そのためにあった。 もっと深く。 もっと静かに。 もっと透明に。 誰かに認められるためではない。..

Gishu Azami
7月16日読了時間: 3分
美とは何か<What Is Beauty?>
美とは何だろう。 私は昔から、美しいものに強く心を動かされてきた。 絵画、音楽、建築、自然。 人の生き方。 なぜ、あるものには胸が震え、 別のものには何も感じないのだろう。 昨日、美しいと思ったものを、 明日も同じように美しいと思うのだろうか。 その日の心の状態で変わるのだろうか。 疲れている日。 嬉しい日。 悲しい日。 それによって美しさは変わるのだろうか。 そんなことを考えることがある。 けれど、人生を振り返ると、一つだけ確かに思うことがある。 美は、私の都合によって生まれるものではない。 美は、そこにある。 存在そのものが放つ静かな光として。 問われているのは、その光を感じ取れる自分でいられるかどうかなのだと思う。 「Wow!!!」 その一瞬がある。 説明が先ではない。 感動が先にやってくる。 美とは、理屈よりも早く心を動かすものなのだ。 私は音楽が好きで、よくクラシックコンサートへ足を運ぶ。 期待していたのに何も感じない演奏もある。 反対に、何気なく耳にした一曲が、心を深く揺さぶることもある。 最近、そんな出会いがあった。...

Gishu Azami
7月16日読了時間: 4分
bottom of page